【書評】 すべての教育は「洗脳」である 堀江貴文 著

「自分はまだ能力が足りていない」「自分には経験が足りていない」という理由で実行するのをためらったアイディアがあった。

「自分には才能がないから」という理由で“夢”の中から除外していた好きなことがあった。

 

この本を読んで、もっといろいろチャレンジすべきだ、チャレンジしていいんだと背中を押してもらえました。

自分が好きな気持ちに従い、何かに夢中になる力を伸ばすことで、この先の世界でも高い価値を持つ人材になれると、本著を読んで感じました。

 

 

 

 堀江貴文さんの すべての教育は「洗脳」である です。

本著は教育によって足かせを負わされている現代人の解放を目的に、どのような洗脳であるのか、どうすれば抜け出せるのかが書かれています。

自分のやりたいことを抑圧することを、堀江さんはその洗脳の一つに挙げられています。

学校教育が作り出した抑圧的な習慣のせいでやりたいことに踏み出せず、我慢を重ねて日々を過ごしている人が多数いると本著の中で言及されていました。

 

私にとって学校は我慢であるという認識はありませんでした。なので、会社に入っても我慢という感覚はほとんど持っていませんでした。

会社に貢献するために頑張る。顧客満足のために邁進する。個を滅して、事業貢献を行う。。。

そんな存在が当たり前になっていて、自分の好きを大切にすることを全く忘れていました。

 

文系大学は会社のソルジャー量産所であると、学生時代自分たちを揶揄していましたが、その実すっかりソルジャーが板についてきてしまっていました。

 

本著では学校の洗脳が

・目上の人に認められることをよいこととする

・我慢を積み上の位を目指す

・常識を重んじ、現在所属しているコミュニティに自分のアイデンティティを形成する。

といった認識を植え込むのだそうです。

 

事実、上司の評価を上げるために何でもし、顧客満足も上司満足も高められるようにしてきました。それが何か当然のことのように。そして、嫌なこともいやと思わないような顔をして上へ、上へ出世を望んでいました。ただそれが唯一の正解であるように。

 

そして、自分の名刺がそのまま自分自身となっていました。なのでその名刺に書かれる言葉が自分の価値であるかのように感じていました。OO大学出身で株式会社OOに務めている人。

 

自分をかたどるものは会社だけではないということに気づかされました。

会社の仕事を無心でするだけが唯一の正解であるとの強迫観念に囚われていたと気が付きました。

自分自身はもっと多面的で、自分が魅了されるものは世の中に多く存在していて、それに没頭することこと、真の自分の幸せなのではないかと思いました。

自分が恐竜博士であったこと。テレビドラマが大好きで、自分ならこういう話にするな、こういう展開にするなとノートに書いていたことを、こんな過去の夢たちを本著は唐突に私に思い出させました。

いつの間に“好き”を抑制されるようになったのだろう、寝食忘れて没頭するのを忘れたのだろう。

 

いま日常から少し離れ少し立ち止まって、本当に自分がしたいことは何かを考えました。

「才能」や「能力」や「経験」はいったん忘れて、自分が無心に没頭できるものは何か。

 

日常に少しでも疑問を持たれているのであれば、一読されてはいかがでしょうか?