本著は家事のクオリティの固執が家庭環境の崩壊へつながるとの考え方の元、そこまで家事にこだわらなくてもよいのではということを示めしています。
女性は高度なクオリティの家事を求められるプレッシャーから疲弊していきます。そして男性の無協力の元、さらに心身をすり減らしていきます。その結果、疲弊した女性が家庭環境からドロップアウトする、もしくは家事スキルを持たない男性が取り残されることで、家庭環境が崩壊すると言っています。
以下は 本著書とは直接内容は関係ないですが、読んで感じたことです。
本著冒頭で
“なぜそんなにちゃんとした家事が大事なのか、いや、そんな家事、やらなくても生きて生きるんじゃないか”
と述べています。これには非常に同意します。
家事を自分がやらなければいけないことと間違って認識しているために、自分自身が生きづらくなっていってしまうのではないかと思います。
そこから脱出すればよいのです。
女性も男性も社会から女性の社会進出を求められます。
女性はバリバリ仕事をこなし、かつ家事も完璧にこなすことを求められます。
男性は女性の社会進出に向けて会社の制度や家事を行うことを求められます。
女性の社会進出、社会参画などの単語が頻出します。日常でもよく耳にします。
実際、女性の正社員雇用や役員登用は進んでいるように感じます。
しかし、一部の方に言わせるとまだまだ十分ではないようですが、まずそもそも本人が望んでいないのではないでしょうか?
本人がフルタイムでバリバリ働きキャリアを積むことを志向していないのではないでしょうか?
周囲を見ても、総合職としてキャリアを積むことに小教区的な女性が多数です。
理由は、仕事の幅が広がり、自分のプライベートや家庭を滅して仕事に従事しなければならないからです。
また、2016年のヒットドラマ「逃げるが勝ちだが役に立つ」があります。
テレビは基本的に20代30代の女性の視聴率が高いのですが、その層に本ドラマが非常に受け入れられました。
私はこれから、女性はある種家庭に入ることを希望しているのだと類推できると思います。
社会からは、脅迫まがいに社会進出を求められています。しかし、まったくその土壌がない企業が多数ある中で、家庭と仕事の両立は大変困難です。されには結婚することも難しいと考えているのではないでしょうか?
そのような社会環境の中で出る答えは、家庭に入る、専業主婦となるということだと思います。
本書に、残業を断ったらボーナスが減額されるというのは不当だという主張がでてきます。
しかし、これは至極当たり前です。
大手金融などで導入されている地域限定社員などがよい例です。これは、転勤など総合職としてもとめられる業務をいくつか免除される雇用形態です。
もちろんその分基本給が低くなるため、ボーナスが減ります。これは減らされているのではありません。企業側からすると転勤などをしてくれるのであれば給料を“増やし”ます、ということを意味しています。
より多くを我慢するのであるから給料が高くて当たり前、自由を手にするのであれば、その分給料が減らされて当たり前という考えは社会通念上、当然の考え方です。
常識です。
それを不当だというのはお門違いであり、辞めたら?という話。
家庭や自分のやりたいことを滅して企業戦士として、業務を全うするということが当然であり、自分のすべきことと考えています。それが、企業に勤めるということであると。
ゆえに、家庭と仕事の両立する土壌がない企業であれば、そこから脱することこそ必要な行動なのではないでしょうか?
これは男性も同様で、男性も先述のとおり、家庭や自分のやりたいことを滅して企業戦士として戦っています。旧態依然とした企業であれば。
なので、そのような環境下の中で家事への従事も同時に求められています。
旧態依然とした企業に勤めることと、家事への従事は両立できないことなのだと思います。
堀江貴文さんの「すべての教育は洗脳である」 の中で、仕事=我慢という考え方に対して大変勉強になる考え方が述べられています。
教育は従順な工場労働者を要請する洗脳システムであると述べられています。
その教育を受けてきた人々が、我慢して就労すると考えるのは当たり前であり、その当たり前をベースとした企業に雇用される形式をとっている限り、その呪縛から抜けられません。
しかし、個人の思想は自由となり、個々人がそれぞれ自由な発想で生きていくことが許されている社会で、そのような旧態依然とした企業形態をとっている会社で働くことをだれが望むのでしょうか?
西原理恵子さんは以下のように著書で述べています。
“結婚か、仕事かだったら、どっちもとってください。
今はまだまだむずかしい社会だけど、どっちもとりましょうよ。
そしたら、どんなとこに就職するか、どんな夫がいいか見えてくる。“
(西原理恵子著「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」より)
軍隊的なライン工を要求している企業に、自由な生き方や女性進出を求めることはできません。また、男性が家庭へ時間を使えるように求めることはできません。
それに対抗するためには数少ない先進的な企業に勤められるように自分を高めるか、自分でビジネスを創出するしかありません。
その努力を行うのか、甘んじて現状に従属するか、ある意味では自由に選択ができます。
男女関係なく。
変化に対応できない企業や人間が淘汰されるような行動をすることで、女性の社会進出を促すことができると思います。
従属し不平不満を言うのではなく、脱出すればよいのです。
また本著ではSNSの台頭により、高いクオリティを家事に求められる点に苦しめられると述べています。
現実のコミュニティでSNSに否応なく参加させられます。みんながやっているので参加しなければならないためです。
よって、現実世界のコミュニティとバーチャルのSNS上のコミュニティが非常に密接につながっています。
そのSNSの中で、身近な他者、ご近所さんとかママ友の輝かしい日常を突き付けられます。
つい数年前まではテレビや雑誌の中だけであったため、自分の生活と比較して劣等感を抱くこともありませんでした。しかし、SNSにより、身近な人物の輝かしい生活が眼前に突き付けられます。
SNSの中の他者は、まるでホテルや旅館のような料理が並ぶダイニングテーブルで日常的に食事をしています。モデルルームかインテリアショップのようなリビングで過ごしています。また、ドラマや映画のようなおしゃれな店で仲の良い夫婦の休日を楽しんでいます。そんな身近な人の輝かしい生活と自分の生活を比較させられます。
よって、現代ではSNSにより、身近な他者からの家事のプレッシャーも受けなければなりません。
SNS映えするような完璧な家事、高いクオリティの家事をしなければいけないという強迫を受けます。
自分の劣等感を払拭するために、完璧な家事を達成し、それをSNSで公開しなければなりません。
ではなぜ、そのSNSから脅迫をうけるのでしょうか?
それは、自分を認めてほしい、ちやほやされたいという願望のせいであると思います。
本当はすべてにおいて称賛・羨望の的でありたいと思っているのに、現実ではそこまで輝かしい生活や人間ではない。そのため、SNSに映る姿だけでも輝かせたいという見栄の表れであると思います。
家事ではない違う場所を探して、そこでみんなに認めてもらう・ほめてもらうというようにしたらいいのではないでしょうか?
それが家事であればそのままでいいでしょうが、家事が好きでないのであれば不幸でしかありません。
家事は置いといて、自分が好きなこともっと極めていけばSNSに脅迫することもなくなります。
3.家事からの離脱
家事をしなければいきはいけません。少なくともQOLは低くなります。いきなり矛盾していますが。
汚い部屋で汚い服を着てまずい食事を食べるのは、現代日本においては不幸に分類されると、私は考えています。
ですが、同時に家事をすべて完璧にこなす必要性を感じていません。
いかに手を抜くか、いかに楽するか、が重要です。
もちろん、常にSNS映えする生活を送ることを自分の表現と位置付けているのであれば、それも一つの選択肢です。
それはあくまで選択肢であり、手を抜いて楽に家事をしてもよいのです。
家事の負担を軽くして、仕事に打ち込み、可処分所得を上げるという考え方が普通ではないでしょうか?
もちろん、家庭内での家事分担は大切です。しかし、本書でも述べられていますが、家事・育児・仕事の両立はなかなかに難しいです。
そういう場合は、時短テクニックや家事のアウトソースを頼ればよいと思います。
(たとえばこのようなもの:)
まだまだ家事のアウトソースに対して消極的な方が多くいますが、自己投資の時間を捻出するために家事をアウトソースし、自らの価値を高めることこそが将来の自分の所得を増やすことにつながると考えてみてはいかがでしょうか?
自分が本気で打ち込めることを見つけ、それに自分のリソースを投入することこと最も大事なことです。
それが家事でないのであれば、家事は徹底的に手抜きしたらよいのです。